7月26日金曜日、パロアルトにある WSGR弁護士事務所にて白久レイエス樹氏によるJPTA主催の講演会が実施された。白久氏は既に日本への帰国が決まっている中緊急講演会となったが、会場には多くの関係者が集まった。

白久氏は、沖縄高専時代の2011年に友人3名とスケルトニクス株式会社を立ち上げている。
そもそも「スケルトニクスって何?」という方の方が多いと思うので、当時の様子が写っている動画から見て頂きたい。
スケルトニクス開発のきっかけは何だったんですか?

2008年の沖縄高専機械科時代に高専ロボコンに参加したのがきっかけでした。この動きを人体と拡大機構を組み合わせれば、大きなロボットができるのではと友人が考え出したのがスケルトニクスの発端です。
高専ロボコン出展作品をさらに改良してできた初号機がこちらだ。

2010年7月頃に友人と開発を始め同年12月頃には完成をしていていましたので約半年で作り上げた作品となります。その後の試行錯誤繰り返しながらモデルアップをしていく。モーターを入れて動力版を作る事にも何度も挑戦をしましたが、モーターの重さなどの関係で結局うまく行きませんでした。骨格は加工のしやすなども考えてアルミニウムを使用していました。
いつ頃からブーストしそのきっかけは何だったのでしょうか?
出来上がった作品の動画を当時は、ニコニコ動画技術部という所にアップしていました。それを誰かがYoutubeに
アップしてくれて、100万回再生ほど達成して、「よっしゃー!これなら行けるぞ。」と感じた頃からだと思います。動力をつけて少ない力で動かせるようにしたり、重いものを持てるようなロボット作りに挑戦を開始しました。
2011年にビジネスを法人化して株式会社を設立しました。
丁度、この頃から波に乗り始めておりハウステンボスさんから受注を頂くなどビジネス化できる目途が立ってきましたので株式会社を立ち上げました。といっても友人3名でそれぞれ手持ちの貯金25万円ずつ出し合って合計75万円からのスタートでしたのでオフィスも東京のど真ん中というよりも東京都八王子市、しかもかなり山奥の下恩方とい所にスペースを借りて始めました。その後も研究開発と営業を繰り返しながらビジネスもまずまず順調に進んでいたのを覚えております。ビジネスモデルとしましては、イベント派遣(25%)、ロボット販売/受託開発(8.3%)が中心となっておりました。
ロボット販売では、2014年~15年頃にドバイの石油王から「是非スケルトニクスが欲しい!」という声も頂き実際にドバイに出張して販売してきたのを覚えています。イベント派遣でも、氷川きよしさんから「紅白歌合戦で使用するロボットを作ってほしい!」とうい発注があり、実際に私も紅白でロボットに入りながら氷川さんの後ろで踊ったのを覚えています。(笑)

それらの売り上げを研究開発・設備投資に回しながら人間を簡単に持ち上げたり、静歩行ができるような重量級パワードスーツ「Exonneces Gear」の開発までこぎつけたのですが、残念ながらこれは実用化する前に2015年12月にプロジェクト終了となりました。
その後、スケルトニクス株式会社を退職しスバルに転職をされました。
スケルトニクス社では失敗もしましたが多くの事を学び、共同創業者にも恵まれて何とか6年間一緒に働く事ができました。と同時に今後の将来のことを考えると技術者としてのキャリアの不安や、支えなければならない家族の存在もあり一旦創業企業を離れて第2新卒枠として大手のスバルに入社する決意をしました。
なぜスケルトニクスの世界から自動運転の世界に変えられたのでしょうか?
日本でもそうですし、ここシリコンバレーに来てからも感じましたが自動運転の機運がとても高まっています。前職のスバルでもそのような仕事に携わっていたこともあったからです。少子高齢化による無人・省人化需要や交通事故ゼロ、仮に自分の事業が失敗してもエンジニアとしての再就職の道が広く開かれていると感じ思い切って、ピポットをしロボットから自動運転の世界に身を投じてみました。
日本に帰国して、ゼロからのスタートになりますが家族と共に自分のやりたい「自動運転の分野」で思いっきり暴れたいと思います。
1989年 沖縄生まれ 2005年 沖縄高専機械科入学 2011年 友人三名とスケルトニクス株式会社設立 2016年株式会社スバルに就職 2018年シリコンバレーに渡米 自身2社目となるYanbaru Robotics,Inc.設立